「猫だらけの人生

 

猫との最初のかかわりは、かなり昔の話です。
子供の頃、拾ってきた猫を父親に内緒で家の中で飼いはじめ、バレないように、それは苦労した記憶があります。
以来、猫はいつも身近におりました。(しかし、?10万もする血統書付なんてのは一度もありません)
ノラ猫、迷い猫、捨て猫、頼まれ猫、数えたらキリがありません。

一度目は娘が9歳の時、友人の親の動物病院から貰ったというか、頼まれたというか、5匹の内どれでもいいからと云われて、仕方なく一番小さい仔を引き受けたところ、他の兄弟達に負けて、ろくに食べられなかったらしく、我家に来て一週間で中猫になりました。
小さかったので「チビ」と呼んでいました。

二度目は娘が15歳の時、また別の友人から頼まれて貰ってきたのです。しかしこの子は「ゴンタロウ(オス)」。本当にかわいらしく、性格もやさしく人なつっこく、ペタペタ猫かわいがりしていました。子供達に「チビもゴンも平等にかわいがってよネッ」いつも文句をいわれていました。ところが、何が悪かったのか、脚の付根の動脈に血栓がつまり、かわいそうに両後足を引きずって歩くようになり、医者通いが大変でした。
残念なことに、16歳で病死させてしまい、今でも後悔しております。

二匹の猫にかかわった娘が18歳で家を出て他県の大学に進学した後も、チビは生き続け、23歳で大往生をとげました。かかりつけの動物病院でも最高齢でした。娘よりチビとの付き合いの方が長かったことになります。

チビが死んで猫なしの期間が数年続き、穴があいたような、ホッとしたような気持で、ようやく海外旅行にでもと思い始め、何度か出掛けられるようになりました。

2009年5月末、娘の住んでいる信州駒ケ根に旅行した帰り、大きなファーマーズマーケットで買い物をした時、「貰って下さい」という貼紙をつけたゲージの中で、死んだゴンタロウとそっくりの仔猫を見てしまい、さんざん迷ったあげく、ダンボールの箱に入れて中央高速駒ケ根から横浜まで連れてきました。
生後3週間だそうで、450gの小ささで親離れしたのか、自分で皿からミルクも飲めないし、オシッコも自分では出来ない。かかりつけの病院で3日間入院。とに角大変でした。
あれから丸4年。今や6.4Kgとなり、やさしくておっとりした性格の初代ゴンタロウとは似ても似つかない、気の強いサッカー猫になりました。ペットボトルのキャップが大好きで、投げるとすっとんで取りに行き、くわえて戻って参ります。何度でも要求するのです。「アンタは犬か?」っていつも私は云うのです。障子は破くし、タオルはかじるし、いきなり腕にとびついて噛むし、本当に困ったちゃんになってしまいました。私の育て方がいけなかったのか! 日々悩んでおりますが、二代目ゴンタロウなしは考えられません。当分、海外旅行はお預けです!!

おとなしかった初代ゴンタロウとは似ても似つかぬ やんちゃな2代目

初代ゴンタロウとそっくりの2代目

oyabaka plaza

23歳と長生きしたチビ

城戸 富士子

東日本ヤマハOB会
One for All, All for One

新しいコーナー「親ばかですが 何か問題でも?」略して「親ばかプラザ」を始めます。
ここでは、皆さまのご自慢のペットを紹介いたします。「へー、あの人がこんなペットを」と驚いたり
ペットを通して新しい絆の環が広がり、深くなることを期待しています。
一般に、人の自慢話ほど聞くに堪えない話はありませんが、ここではペットの自慢話を心置きなく
語っていただこうと思います。読者の皆さまも、ここは一番大人になって、ペットのことだと笑って見逃してください。犬、ねこ、鳥、爬虫類、熱帯魚・・・ペットというペットなんでも結構です。すでに天国へ旅立ってしまったペットの話でも構いません。写真と文章を事務局まで送ってください。
適宜掲載して参ります。

ゴンタロウ(左)とチビ

狭い箱でも無理やり入ってしまいます

タオルを破ってETになったり

ビールのカートンに飛び込んだり

子供のころのゴンタロウ

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