健康のためならウオーキングの方がいいし、50代以降、
運動らしい運動は何もしていない私のような71歳の高齢者が
40キロを超える長距離を走れば怪我をするのがオチなの
に、どうしてフルマラソンをやろうと思ったのか、それ
には“深〜いワケ”があるんです。
実は私の次女一家が一昨年の夏ハワイに移住し、自宅が
「ホノルルマラソン」のコース沿いにあるため、マラソン
当日に自宅前で給水サービスをしたらそれが大人気で、大変
だったけど楽しかったという話を聞き、ならば私もランナー
の一人として、36キロ地点にあるその家の前に倒れこみ
ながら、孫から給水カップを受け取る図も悪くないなと
思ったのが、一番のワケです(全然“深〜く”ないですね)。
それと「ホノルルマラソン」は「東京マラソン」のような
制限時間がなく、参加者の中には、景色を楽しみながら
のんびり走っている人が多いということも、私の心を参加
へと動かしました。
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トレーニングと大会10日前の怪我 |
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私のようなスポーツに無縁の高齢者は、トレーニングをちゃんとやら
なければ42キロなんて走れっこありませんが、そうかといって、
あまり練習をやり過ぎると足や腰を痛めるし、そのさじ加減が難しい
ところで、どんなトレーニングをしていいか分からず、本屋で見つけた
『週1回のランニングでマラソンは完走できる』(850円+税)を唯一
の頼りに、週1回のランニングと、週3回の腹筋・背筋トレーニングを、
昨年1月に始めました。
最初は3キロ走るのがやっとでしたが、練習を重ねるに従って次第に
距離も伸び、途中フクラハギや膝の痛みで停滞を余儀なくされつつも、
8ヶ月後には20キロを休まず走れるようになりました。
これでなんとか大会にも出られると、ハワイへの渡航を楽しみにして
いたところ、大会10日前の日本での最後の練習でフクラハギの痛みが
再発してしまい、治療・養生の甲斐もなく、大会前日になっても痛みが
引きません。スタート後の途中棄権もやむを得ないと覚悟を決め、
次女夫婦とは、棄権した場合の救援策を細かく打ち合わせしました。
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大会当日 |
大会のスタートはホノルル時間で12月14日(日)午前5時
なので、3時に起床し身支度を済ませました。するとどう
いうことでしょう、あれほど心配した足の痛みが消えている
のです。
当日の出場者は約3万人。華やかな花火を合図に先頭走者
がスタートしましたが、後方に並んだ私がスタート地点を
通過したのは花火の十数分後でした。フクラハギが痛み出し
たら棄権に追い込まれるので、ゆっくりゆっくり走ります。
沿道では、ブラスバンドの演奏や、市民・観光客が拍手で
声援してくれます。
当日の天候は雨が降ったり止んだりの生憎のコンディ
ションでしたが、とにかくゆっくりゆっくり走り続けます。
ワイキキを過ぎた住宅地の沿道では、時折住民の人が自宅の
前で大きな声で応援をしてくれます。
「Good job!」。それも盛んに拍手を送りながら笑顔で。
そんな応援を受けると、思わず走るスピードが上がります。
中には手作りのお菓子や飴をカゴに入れて差し出してくれる
方もいます。沿道には、所々に小さな特設ステージも設け
られ、バンドとダンスのパフォーマンスや、フラダンス、
DJなどで走者を元気付けてくれます。なんだかお祭り気分。
トイレ休憩も挟みながらゆっくり走っているためか、
フクラハギも痛まず進めましたが、さすがに25キロ過ぎた
辺りからはきつくなり、ランナーの中には、足が攣って走れ
なくなり、歩道で休んだりストレッチをしたりしている人も
増えてきます。
いよいよ36キロ地点の娘の家です。家族みんなの笑顔
に向かって元気よく走り込み、孫から念願の給水を受ける
ことができました。娘の特製おにぎりも食べて元気よく
再スタートし、6キロ先のゴールに駆け込みました。
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スタート前 |
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念願の孫からの給水を受けました
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フルマラソンに挑戦して学んだこと |
ハワイ名物の虹に向かって |
人生で初めてのフルマラソンに挑戦して、二つのことを学びました。
一つは、人間の身体能力は、高齢になっても訓練すれば伸びるということ。
特に、私のように今まで経験したことがないことを新たに始めた時は、
そのことがはっきりわかります。トレーニングで月を追って着実に走行
距離が伸びていきました。 哲学者マルティン・ブーバーに
「創(はじ)めることさえ忘れなければ人は老いない」という言葉があった
のを思い出しました。
二つ目は、何事も周囲の助けが成功の鍵を握っているということ。
今回のフルマラソン出場は誰に頼まれたわけでもなく、また誰のためでも
なく、自分一人のために決めたことですが、家族のみならず、多くの方から
いろいろな応援をいただきました。ヤマハOB会の友人・知人、高校の同級生、
所属NPOの仲間たち、そして地域の知人など大勢の人が、参加を決めた時や、
怪我で棄権の可能性が出てきた時に、励まし・アドヴァイスをしてくれました。
それがいかに私の心を支え・元気付けてくれたことか。もしそういった
応援がなければ、おそらく完走はできなかったでしょう。
完走を伝えるフェイスブックの私の投稿には、今まででは考えられない
数多くのコメントが寄せられ、そのどれもが、私の完走を我が事のように
喜んでくださり、中にはご自分の勇気に変えた方もいて、こんなに嬉しい
ことはありません。 今まで応援してくださった全ての方に、ここで
改めて感謝します。ありがとうございました。
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