編集室から

編集室の新体制     
                                     編集長  田中達也

現在のHPの編集は、後藤正明さん、藤嵜勅さん、長尾浩和さん 木戸正隆さん、須田昭孝さん、袰川雅代さん田中達也の7名に、福田善治さんが同報メール全体顧問を担当いただき8名で運営しております。今回の大改造に伴い、2名の新たなメンバーが加わりました。鴨井次郎さんと原京子さんです。
これに伴い、各編集委員の担当を若干変更しましたのでご案内します。

                同好会HP担当者
 囲碁同好会 木戸正隆  温泉旅行同好会 木戸正隆
 絵画鑑賞同好会 原 京子   カラオケ同好会 後藤正明
 健康麻雀同好会 木戸正隆   コーラス同好会 須田昭孝 
 ゴルフ同好会 木戸正隆   四季遊覧同好会 藤嵜 勅 
 シニアアンサンブル同好会 鴨井次郎   写真同好会 長尾浩和 
 将棋同好会 藤嵜 勅   テニス同好会 藤嵜 勅 
 ハイキング同好会 須田昭孝   俳句の会同好会 後藤正明 
 バードウォッチング同好会 長尾浩和   パソコン同好会 須田昭孝 
 ボウリング同好会 後藤正明   寄席鑑賞巡り同好会 袰川昌代

青字の担当者は今回のHPがデビューです。不慣れなため、いろいろご迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。

支部担当は原則として、東北支部は須田昭孝さん、みちのく絆通信、北海道支部は長尾浩和さん、そのほかの記事は私田中が担当し、その場の状況を見て編集委員に振り分けて担当いただきます。
今回新発足の「私の散歩道」は後藤さん、「私の旅行記」、「私の健康法」は長尾浩和さんにそれぞれ担当いただきました。同好会担当者は固定しますが、そのほかのところのメンバーは流動的に考えてまいります。

新しくメンバーに加わりました鴨井次郎さんと原京子さんをご紹介します。



東日本ヤマハOB会ホームページ編集委員就任に当たって                  鴨井次郎

  今年度(平成26年度)から新しく東日本ヤマハOB会のホームページ・会報編集委員に加わった鴨井次郎です。
 ヤマハ在職中は管打楽器の普及担当として、昭和39年(1964)から昭和57年(1982)の18年間、東京支店、ヤマハ音楽振興会、関東支店等に所属していました。昭和30年〜45年当時、日本の吹奏楽のレベルは大変低く、中学校、高等学校の吹奏楽の部活動は低迷しておりました。音楽教科の教諭は吹奏楽の顧問をやりたがらず、他の教科(英語や数学や国語等)の教諭が顧問をしている様な状態でした。高等学校では殆ど生徒だけでの活動でした。中・高の先生達はバンドの指導法が分からず、音合わせも満足に出来ず、合奏の響きは聴くに耐えないバンドがほとんどでした。勿論、全国吹奏楽コンクールに出演するバンドの中には素晴らしい演奏をする団体もありましたが。
 その様な中、当時N響のTuba奏者でヤマハ吹奏楽団の音楽監督だった原田元吉氏が、アメリカのロス支店から財団に転任された高戸隆一郎氏(現在兵庫県芦屋市在住)と相談し、金原善徳専務理事に日本のバンド普及・発展にはバンド指導者の育成が急務だと進言し、財団内にヤマハバンドディレクター養成コース(以下略してバンディレという)が設定されました。音大出身者から高卒の者まで、年齢の差のある受講者が27名集まり、全寮制でしかも給費付きという恵まれた環境で猛烈に勉強しました。音大で4年間で学ぶ以上の内容を1年半で習得する猛烈な特訓が始まったのです。講師陣は兼田敏氏(作曲家)を中心に編成され、私は東京支店から財団に出向し、吹奏楽指導法等の授業を担当しました。彼らはこのバンディレコースを卒業後、ヤマハの各支店に赴任し、管楽器普及担当講師として活躍しました。彼らの活動が現在の日本の吹奏楽の発展に尽くした役割は多大だったと思います。
 バンディレコースは彼らが卒業と同時に終了し、「合歓の郷」にバンド指導者だけではなくエレクトーン指導者の育成も行う専門学校として新しくネム音楽院が設立されました。作曲家の兼田敏氏と私は合歓の郷に常駐し、1年間でしたが、24時間学生達と共に猛特訓をしました。
 当時恵比寿に在った財団に戻り、管打楽器、教育楽器、吹奏楽等々の普及のための資料作成に携わりましたが、その中で特質すべきは、ソニー吹奏楽団の音楽監督の秋山紀夫氏と吹奏楽をもっと楽しいものにしたいという話し合いを行い、ジャズバンドの編曲者として活躍されていた岩井直溥氏を編曲者に迎え、吹奏楽の新しいレパートリーとして「ニューサウンズ・イン・ブラス」を企画し、毎年10曲の新譜とその音盤を発刊したことです。今日、日本の吹奏楽のレベルは飛躍的にレベルアップし、発展してまいりましたが、ヤマハ財団での普及活動が大きな役割を果たしてきたのだと自負しております。
 私はその後、尚美音楽院に移籍し、管弦打楽器科の教授として後進の指導にあたりましたが、振り返ってみればヤマハでの仕事が一番充実していた様に思えます。
 この度、私は東日本ヤマハOB会のHP編集委員に携わることになり、微力ながら精一杯頑張ってまいりたいと思っております。どうぞ宜しくご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。


 
東日本ヤマハOB会ホームページ編集委員就任に当たって     原 京子

 

昨年、ホームページの編集委員にとお誘いを頂いた時には、その重要性が分からずに女性の視点で感想を言うだけでよいとの事で、ただ生まれつきの好奇心からお引き受けしてしまいました。
その後数回の会合に参加してやっとその大変さに気が付くという鈍感さ。
結局「見習生」としてお手伝いすることになりました。
パソコン歴は10年ほどですが、WindowsOfficeを少々かじった程度でホームページ作りは難しいと敬遠、ブログは作ったものの月一回の更新がやっとという程度でしたから、ホームページビルダーの画面さえ知らなかったのです。
今回「見習生」からちょっと昇格し「一年生」になったわけですが、これからどうなるのか不安でいっぱいです。 
先輩方のヘルプを頼りに 何とか皆様のお役に立てるようになるまで生きていなければと思っています。  

 

 

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